【3月18日】初戦敗退も、、、TV中継にも息子の姿が映る。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

いつ、息を引き取ってもおかしくない。というのが、訪問医師のコメントでした。こちらの投げかけに、なんとか目を動かして頷く事は出来る状況です。電話での会話はできません。

TV中継に息子が

甲子園・高校野球が大好きだった父。息子は、外野ノッカーの大役を仰せつかり、スタンドでの応援でしたが、TV中継にしっかりと写っていました。

奇跡です。大好きだった高校野球・甲子園、寿命もあとわずかという中での、甲子園出場。訳あって息子はメンバーには入っていませんが、そんな事はどうでも良かったのです。

末期がんの恐ろしさ

食欲を奪い、栄養失調・脱水症状となります。父の場合、最後の2ヶ月で一気にきました。なので、もしいま、癌と闘っている方、親族の闘病をサポートされている方がいましたら、それまでが勝負です。逆に、それまでは絶対に諦めないでください。

父の寿命まで、あと【6日】。

【3月4日】甲子園の初戦が開幕戦に決定。神様からの贈り物。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

ほぼ、返事をするのが、”やっと”の状態になってしまいました・・・。

私は反対していたのですが、夜眠れないとのことで、睡眠薬を何度か飲んだそうですが、、、睡眠薬を使用した翌日は、話しかけても意識が朦朧としているような感じです。。。

食事もほとんど摂れないため、嘔吐などは全くなく、たまに水分を摂って、本人が持つ生命力にすがる。そんなイメージでした。医師からは脱水症状のため、臓器内も水分が枯渇しているとの説明がありました。。。

神様からの贈り物②

1日でも早い日を引いて欲しい。という思いが届いたのか、なんと1回戦は開会式に決定!!

奇跡です。1日1日と体力減退が、、、目を当てられない状態だったので、これは、ご先祖さま、神様の最後の贈り物だと、感謝をしながら、私は甲子園へと向かいます。

嫌な予感

息子の試合が終わったら、もしかしたら父との別れが来るのではないか?生きる気力となる目標がなくなるのが恐ろしくなりました。。。1回戦を突破してくれれば、延命につながるのでは?と、このときは願掛けをしていました。

父の寿命まで、あと【20日】。

【2月27日】歩行困難となり、ベッドに寝たきりに・・・。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

何とかソファーに座って、TVを視ながら、食事をして、会話をする。という生活を維持してきた父ですが、お風呂で転び、腰を打ってから、ベッドでの生活が中心になる。

食事も、ほぼ喉を通らず、水、アイス(ピノ1個)と、日を追うごとに、さらに痩せていくのがわかります。意識はハッキリしていますが、話しかけても返答のみで、会話までの発展はできません。

この頃、弟一緒にマッサージを。骨と皮になった父の身体に触れると、自分の力不足など、色々な後悔もあり、心が痛む。。。

春の選抜甲子園、抽選会

野球をやっていた父は、高校野球が本当に本当に大好きでした。
私も元球児で卒業した母校を、30年近く経っても毎年毎年、チェックしていました。

今回は孫の高校が選抜に出場する事になったので、もう少し元気であれば、甲子園に駆けつけたかったでしょう。息子は、高校1年生の夏に転校したので高野連の謎のルール「1年間公式戦出場停止」ということで、当然ベンチに入れません。

(高校総体連は、ペナルティ半年なのですが、野球だけが1年間なんです)

神様からの贈り物①

息子からLINE連絡があり、甲子園の外野ノック担当に指名されたとのこと。これにより、背番号をもらった選手とグランドに入るまでの一連の帯同を許されるらしく、息子は興奮気味。父に伝えると、頷くのみでしたが、どことなく嬉しそうな様子。

そして、抽選日を迎えます。

父の寿命まで【24日】

【2月】定期的に千葉へ。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

明らかに体調が悪化しはじめ、本人もお風呂に入って痩せ過ぎた身体を見るのが気持ち悪い。と言い始めたのが、この時期でした。

この時期から、週に1度、緩和ケアの先生が自宅に訪問してくれるようになりました。

毎週のように千葉へ

近くに住む弟は、毎日朝晩と帰宅して父の様子確認と、父へのマッサージをしてくれていました。本当に感謝。私も毎週千葉へ訪問する事になります。

1月29日に、息子が寮生活でお世話になっている野球部の春のセンバツ甲子園への出場が決定し、雑誌の集合写真に写っている孫の姿を見て、喜んでくれた顔が忘れられません。

ただ、毎週・毎週、身体が痩せ、歩行も困難になっているのが分かり、見ているのが辛すぎたよ・・・。父ちゃん。。。

孫の高校の甲子園出場をテレビで観る!

「試合の日まで生きていられるかなぁ」「頑張るよ」と、一つの目標に向けて頑張ると宣言してくれたのが、この時期です。まだ意識も会話もハッキリしていて、息子とも直接やり取りをしてくれていました。

なぜか分かりませんが、息子の高校の試合までは、必ず頑張ってくれる。そういう人だった。と確信している自分がいました。

このサイトを更新できなくなった理由

お察しのとおり、父は3月24日に癌との闘いに力尽き、この世を去りました。
ここ最近の記事は、残していたメモ書きを頼りに振り返りながら、投稿しています。

こちらのサイト更新=父の死への歩み。ではないか?と思ってしまい、どうしても更新するモチベーションがあがりませんでした。現実逃避をしていたのかもしれません。

【1月21日】並木通りクリニックさんにて。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態が急変

年明け、実家から連絡があり、食事後に初めて吐いた。と連絡がり、急ぎ駆けつけたのが2022年1月10日から嘔吐が始まり、15日実家へかけつけ、18日に緩和ケアの病院に緊急入院し、父の希望で2日後に退院。今までにないほど容態が悪化していると感じてきました。

あきらかに、免疫療法を止めてから、徐々に体調が悪化してきました。

ここまでお世話になっていました、免疫療法のクリニックに通いながら、保険適用で処方可能な飲み薬の抗がん剤で、癌の進行を制御できないか?と主治医の先生は、考えてくださっていました。

ただ、食事がどうしても摂れない。とのことで、緩和ケア病院から退院後、この状態でも治療できる病院はないか?と、父が希望していたので銀座の「並木通りクリニック」さんに訪問。

今後の治療可否に関する診断結果は・・・

受付で父を見て、たったの1週間で、かなり痩せていた姿にビックリしました。

いま思えば、まだまだ、この時は元気な方でした。

緊急入院した緩和ケア病院のCTで診断して頂いた結果は・・・

食道まで、腹水が溜まっている状態。

腫瘍か消化機能の低下か、詳細は分からないが、とにかく正常に内臓が機能していないのが原因で吐いてしまったのだろう。とのこと。

「先生、治療はできるものでしょうか?」

という質問に、

「脱水症状気味なので、ちょっと今の体力だと治療は厳しいですね。回復してから検討をしましょう。」

という回答でした。

忘れる事ができない、父の姿と台詞

この時の落胆した父の姿は、今でも忘れられません。

がっかりと肩を落としながら「もう、、、諦めよう、、、」

と、、、

ちょうどその頃、30キロ代から奇跡の復活を遂げた方のブログと出会い、そのブログで紹介されていたクリアリブを知り、僅かな希望を抱き購入して送るのでした。

乳酸菌酵素 抽出液 クリアリブ

父の寿命まで「2ヶ月と3日」

【1月2日】無事に年を越せました。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の様子は・・・

食欲が日を重ねるたびに、落ちています。大食家だった父ですが、麺もの、丼もの、寿司など、一人前どろころか半人前がやっとの状態です。

免疫療法の資金もショートした為、あとは、自己免疫力を高める食事しかない。との思いから

色々な免疫の話しをしました。

自己免疫を高めるために

  • 糖質は制限した方が良い
  • 添加物は回避すること
  • 腸内フローラー&腸内環境を整えること

などなどです。

間違った栄養管理

ただ、いま振り返ってみれば「糖質制限」だけは、止めることはできませんでした。

闘病生活を開始した直後に、教わったり、学んだりした知識を伝え、本人も実施してみると発信していましたが、糖質制限だけはどうしても止める事ができませんでした。

元々、糖尿病も患っていたので、お米が大好きでした。振り返ってみれば「食事療法」も間違いだらけでした。20年以上前から、糖尿病で通院していたのですが、カロリーを重視した指導でしたね。脂質に対して、非常にネガティブで「そば」などを選んでいました。

空腹にそばは、血糖値が急上昇して逆効果であるのは、今なら理解していますが、当時はそこまで強く発する事ができませんでした。

↑ 牧田先生の「糖質中毒」や

↑ 宗田先生の「ケトン体が人類を救う」

を、読んでみて我が国の「栄養管理指導」が、いかに間違っているか?また、糖質制限によって癌の発生リスクを低減する事なども知る事ができました。

再会を祈り・・・

痛みはなくても、明らかに弱ってきているのが分かり始めたのが、年始でした。何とか食事で復活できるようにと、癌を克服した方のブログを読み漁り、色々な商品を検討しはじめたのが、年始の休日中の作業となりました。

思い返せば、まだまだ元気だったと感じます。

父の寿命まで「2ヶ月22日」でした。