8月20日~1週間

変化なし。今週はちょっと甘えてしまった1週間。

体重推移(朝食なし/夜食後)

 ・20日 朝 76.7 / 夜76.6

 ・21日 朝 76.0 / 夜77.0

 ・22日 朝 75.6 / 夜76.4

 ・23日 朝 75.4 / 夜76.0「海鮮丼たべてもうた日」

 ・24日 朝 74.9 / 夜76.6 「飲みすぎた日」

 ・25日 朝 75.6 / 夜76.9 「暴飲・暴食した日」

食事と血糖値

優秀日)

21日は一度も140を超えず。食前のハードなウォーキングか、サラダを先に食べた影響からか?海鮮丼を食べても上昇せず!

21日の血糖値推移
海鮮丼@魚花_江ノ島

残念日)

25日は焼き鳥 → ウィスキーバー → 寿司。と暴飲暴食を極めた日でした。

焼き鳥からスタートだったので、血糖値が上昇していないように見えるけど・・・

25日の血糖値

実は、翌日AMの血糖値推移がメチャクチャでした。

暴飲暴食翌日の血糖値

15時前後の150超えは、空腹時の煎餅。これは最悪ですね。

明日への自分へ

今週は74kg代に突入したとあって、かなり油断モリモリな1週間。

来週も頑張っていこう。

食生活・血糖値と体重の仮説

父の癌闘病生活をサポートしていての気づき。

やはり「肥満」✖ 「糖の過剰摂取」✖

上記は不要だと痛感。

糖尿病を患っている訳ではないですが、肥満解消すべく、血糖値と体重と食生活などの履歴を残します。

現在、4ヶ月で83kg → 74~76kgを推移中。

参考書籍(1)「糖質中毒」痩せられない本当の理由

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● 糖質中毒 痩せられない本当の理由 (文春新書 1349) 新書

糖質を欲する脳になる事が諸悪の根源。という論調です。

具体的には、血糖値「140」を超える → インスリンが分泌で血糖値が下がる。

血糖値の急上昇・急降下の繰り返しが、糖質を欲する脳になってしまう。

事実として

・周囲の飲食店、製品を見渡すと「炭水化物」だらけで血糖値140を超えるものばかり。

・肥満な人は、意思が弱いからではなく、肥満になる環境が整備されている。

といのが、著者の主張です。

血糖値を日々測定する習慣を持てたのは、この書籍のお陰です。

参考書籍(2)「ケトン体」こそ人類史上、最強の薬である 病気にならない体へ変わる〝正しい糖質制限〞

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●「ケトン体」こそ人類史上、最強の薬である 病気にならない体へ変わる〝正しい糖質制限〞

糖尿病を患う妊婦さんの駆け込み寺的なクリニックを営まれている先生が著書。

糖が不足すると【ケトン】という物質が分泌されるそうですが、これまでの医学会の常識では【ケトン】は危険だ!という論調のなか、 胎児も新生児もケトンを大量に保有し、利用している事を突き止めました。

・日本国内の糖尿病に関する学会の考え方、日本と海外との違い

・一般常識と言われているコトと、エビデンスを軸にした新事実とのギャップ

などなど、データを基にした新事実が盛りだくさんです。

実際に私が人体実験で、食事内容と血糖値を実験していますが、書籍に記載している内容のとおりです。

↓ ↓ ↓

https://www.instagram.com/pochat2022/

「知識」からの「意識」の変化が大切!?

必要以上の糖質制限 ✖ 

まずは「糖質依存」から脱する ◯

これが重要と感じています。

ランチの候補先を探すと「小麦」を中心とした「糖質依存【脳】」を作る環境だらけです。

個人的には

・ストレスを感じる過度な食事制限 ✖

・血糖値140を超えない食事と食事方法を知る ◯

・好きな飲食物は絶たない(僕の場合はお酒!)◯

この3点だけと感じています。

以上だけだと感じます。

【8月24日】5ヶ月で色々あった事メモ。

早いことで、父とのお別れから5ヶ月

色々と不思議なことが起こりましたが、早いことにもう5ヶ月。父とは色々とありましたが、声を聞けないのが、やはり一番寂しいですね。「癌」という病は、寿命が分かるので、晩年の過ごし方が選択できるのは、唯一の救いだと痛感します。闘病中の方やご家族の方、残された時間は、暗く後ろ向きにならず、前を向いて「今」を感謝して、楽しい時間を過ごす事に全力になってください!

この5ヶ月間は「母が闘病」

「気管支拡張症」を患っている母が入院しました。発症の原因は、気管に存在するはずの「線毛」が、全くなくなってしまった事により、細菌を気管でブロックする事ができずに肺に入り込み発症してしまいました。

「線毛」がなくなった原因は明確で15年くらい前に「すし銚子丸 市川店」で、毎日パートに通っていた時、床掃除の際に使用していた”薬剤”の影響です。(日本が販売・使用許可をしていても体に有害な製品は多数存在します。自分の身体は自分で守る他ありません)

気管支拡張症は、一気に悪化しないケースが多いようで、徐々に肺を蝕んでいくそうです。母の場合は、血痰などが出る回数が増え、やがて片方の肺が機能しなくなり、在宅で酸素を鼻から吸引する機械が手放せないようになりました。酸素吸引を続けると、今度はナルコーシスという二酸化炭素が体内に蓄積され意識障害などを起こしてしまいます。

自宅で療養していましたのが、ナルコーシス・意識障害が発症し、血中酸素濃度が著しく低下し、救急車で搬送され入院となりました。。。

甲子園を目指す長男が骨折・次男が大不振

秋季大会を控える長男。大会1ヶ月前にまさかの骨折。。。中学クラブチームで最高学年を迎える次男も、今までは考えられない大不振に・・・。父が何か怒っているのかなぁと思いたくなってきます。

新しい一歩を歩む

と、このように意識も周辺の状態も、なにか・・・負のスパイラルに入っていました。。。
ですが『思考が具現化する』ではないですが、このブログも、今を大切にした新しい一歩を踏み出せる内容に変更をしようと考えています。

【3月24日】お別れの時

朝、母からの電話で起きる。

朝一から電話が来る事などないので、すぐにそれと分かりました。「お父さん、息してないって」。

直後に弟からの電話

泣きながら電話がかかってきました。「仕方ないよな。仕方ないよな。(涙)」と。

「分かってた事なんだから泣くな」と伝え、電話を切りましたが、悲しさと寂しさに覆われ、言葉では表現できない、何ともいえない気持ちがこみ上げてきます。

世界中の全ての人が通る道であり、通ってきた道だと思いますが、とんでもなく寂しい。

重要なMTGを済ませた後、帰宅

帰宅した時には、葬儀会社さんがドライアイスなどの対応を行ってくれていました。親族が訪ねてきてくれて、みんなが帰った後、静かな部屋で父と二人きりに。

合唱し、感謝の言葉を投げかけた途端、止められないほどの涙が溢れてきます。

肩の震えが止まりません。父とは色々とありました。

最後の最後まで、色々とありました。

ですが、たった1人の父である事、この世に生んでくれた事、父の失敗経験から色々と学ばせてもらった事、もう何もかも感謝でしかありません。

親の死というのは、こんなにも悲しく寂しいことなのかと痛感します。

いまでも、携帯電話にかければ出てくれるような気がしてなりません。

オペ適応外、ステージⅣの癌と闘病中の方へ

諦めずに食事療法・体質改善を徹底された方が良いです。どのような食事療法がよいか?というのは、ご自身で調べて、信じられる内容を実施するのが一番です。

父の場合、免疫療法ではデータ上は一定の効果が得られました。

心残りは、食事療法(ケトン体質)の徹底と、高濃度水素吸引を実施できなかった事です。日本以外の先進国では、抗がん剤一辺倒ではなく、人間の治癒力を重視する治療、食生活をはじめ、病気にならないための生活習慣が発展しています。

そもそも、お医者さんからは「抗がん剤は、根治できません。進行を遅らせるだけです。」

「基本的には毒なので副作用もあります。」と言い切っていますので、個人的には抗がん剤以外の治療方法を追求する事を推奨します。また、父は一時的に抗がん剤治療を行っていたので、色々と調べるきっかきになりましたが、私の気付きは以下です。

・抗がん剤で投与する薬の値段に驚きます。しかも国内メーカーは、ほぼ存在しません。

・高額な抗がん剤は、保険が適用され、保険制度を通して、海外企業へ支払われます。

・食の環境も日本は圧倒的におかしいです。海外ではNGとされている添加物、農薬を使用した小麦を中心とする穀物、成長ホルモンを使用した肉の輸入など、健康を考えた食生活どころか、発がんを促進する食生活に囲まれています。事実、先進国で唯一、日本だけが癌患者が増えているのは、あまりにも有名な話しです。

https://toyokeizai.net/articles/-/225693

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40436?page=3

・色々と思うことはありますが、癌を患ってしまった以上は、向き合う他ありません。私が父と一緒に闘病して感じたのは、癌は余命を計画的に過ごせる・残された時間を何となく理解した上で過ごせる。という点です。ここだけは前向きに考えて、ご家族、友人、大切な方との時間を大切にして過ごす事ができると感じました。特に、まだ元気があるうちは、色々とやりたい事を、前向きに取り組まれる事をお勧めします。

ちなみに・・・父の四十九日に、母が持病の悪化で救急で運ばれ、約1ヶ月入院する事になりました・・・。こちらは、また追って。

【3月18日】初戦敗退も、、、TV中継にも息子の姿が映る。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

いつ、息を引き取ってもおかしくない。というのが、訪問医師のコメントでした。こちらの投げかけに、なんとか目を動かして頷く事は出来る状況です。電話での会話はできません。

TV中継に息子が

甲子園・高校野球が大好きだった父。息子は、外野ノッカーの大役を仰せつかり、スタンドでの応援でしたが、TV中継にしっかりと写っていました。

奇跡です。大好きだった高校野球・甲子園、寿命もあとわずかという中での、甲子園出場。訳あって息子はメンバーには入っていませんが、そんな事はどうでも良かったのです。

末期がんの恐ろしさ

食欲を奪い、栄養失調・脱水症状となります。父の場合、最後の2ヶ月で一気にきました。なので、もしいま、癌と闘っている方、親族の闘病をサポートされている方がいましたら、それまでが勝負です。逆に、それまでは絶対に諦めないでください。

父の寿命まで、あと【6日】。

【3月4日】甲子園の初戦が開幕戦に決定。神様からの贈り物。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

ほぼ、返事をするのが、”やっと”の状態になってしまいました・・・。

私は反対していたのですが、夜眠れないとのことで、睡眠薬を何度か飲んだそうですが、、、睡眠薬を使用した翌日は、話しかけても意識が朦朧としているような感じです。。。

食事もほとんど摂れないため、嘔吐などは全くなく、たまに水分を摂って、本人が持つ生命力にすがる。そんなイメージでした。医師からは脱水症状のため、臓器内も水分が枯渇しているとの説明がありました。。。

神様からの贈り物②

1日でも早い日を引いて欲しい。という思いが届いたのか、なんと1回戦は開会式に決定!!

奇跡です。1日1日と体力減退が、、、目を当てられない状態だったので、これは、ご先祖さま、神様の最後の贈り物だと、感謝をしながら、私は甲子園へと向かいます。

嫌な予感

息子の試合が終わったら、もしかしたら父との別れが来るのではないか?生きる気力となる目標がなくなるのが恐ろしくなりました。。。1回戦を突破してくれれば、延命につながるのでは?と、このときは願掛けをしていました。

父の寿命まで、あと【20日】。

【2月27日】歩行困難となり、ベッドに寝たきりに・・・。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

何とかソファーに座って、TVを視ながら、食事をして、会話をする。という生活を維持してきた父ですが、お風呂で転び、腰を打ってから、ベッドでの生活が中心になる。

食事も、ほぼ喉を通らず、水、アイス(ピノ1個)と、日を追うごとに、さらに痩せていくのがわかります。意識はハッキリしていますが、話しかけても返答のみで、会話までの発展はできません。

この頃、弟一緒にマッサージを。骨と皮になった父の身体に触れると、自分の力不足など、色々な後悔もあり、心が痛む。。。

春の選抜甲子園、抽選会

野球をやっていた父は、高校野球が本当に本当に大好きでした。
私も元球児で卒業した母校を、30年近く経っても毎年毎年、チェックしていました。

今回は孫の高校が選抜に出場する事になったので、もう少し元気であれば、甲子園に駆けつけたかったでしょう。息子は、高校1年生の夏に転校したので高野連の謎のルール「1年間公式戦出場停止」ということで、当然ベンチに入れません。

(高校総体連は、ペナルティ半年なのですが、野球だけが1年間なんです)

神様からの贈り物①

息子からLINE連絡があり、甲子園の外野ノック担当に指名されたとのこと。これにより、背番号をもらった選手とグランドに入るまでの一連の帯同を許されるらしく、息子は興奮気味。父に伝えると、頷くのみでしたが、どことなく嬉しそうな様子。

そして、抽選日を迎えます。

父の寿命まで【24日】

【2月】定期的に千葉へ。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態

明らかに体調が悪化しはじめ、本人もお風呂に入って痩せ過ぎた身体を見るのが気持ち悪い。と言い始めたのが、この時期でした。

この時期から、週に1度、緩和ケアの先生が自宅に訪問してくれるようになりました。

毎週のように千葉へ

近くに住む弟は、毎日朝晩と帰宅して父の様子確認と、父へのマッサージをしてくれていました。本当に感謝。私も毎週千葉へ訪問する事になります。

1月29日に、息子が寮生活でお世話になっている野球部の春のセンバツ甲子園への出場が決定し、雑誌の集合写真に写っている孫の姿を見て、喜んでくれた顔が忘れられません。

ただ、毎週・毎週、身体が痩せ、歩行も困難になっているのが分かり、見ているのが辛すぎたよ・・・。父ちゃん。。。

孫の高校の甲子園出場をテレビで観る!

「試合の日まで生きていられるかなぁ」「頑張るよ」と、一つの目標に向けて頑張ると宣言してくれたのが、この時期です。まだ意識も会話もハッキリしていて、息子とも直接やり取りをしてくれていました。

なぜか分かりませんが、息子の高校の試合までは、必ず頑張ってくれる。そういう人だった。と確信している自分がいました。

このサイトを更新できなくなった理由

お察しのとおり、父は3月24日に癌との闘いに力尽き、この世を去りました。
ここ最近の記事は、残していたメモ書きを頼りに振り返りながら、投稿しています。

こちらのサイト更新=父の死への歩み。ではないか?と思ってしまい、どうしても更新するモチベーションがあがりませんでした。現実逃避をしていたのかもしれません。

【1月21日】並木通りクリニックさんにて。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の容態が急変

年明け、実家から連絡があり、食事後に初めて吐いた。と連絡がり、急ぎ駆けつけたのが2022年1月10日から嘔吐が始まり、15日実家へかけつけ、18日に緩和ケアの病院に緊急入院し、父の希望で2日後に退院。今までにないほど容態が悪化していると感じてきました。

あきらかに、免疫療法を止めてから、徐々に体調が悪化してきました。

ここまでお世話になっていました、免疫療法のクリニックに通いながら、保険適用で処方可能な飲み薬の抗がん剤で、癌の進行を制御できないか?と主治医の先生は、考えてくださっていました。

ただ、食事がどうしても摂れない。とのことで、緩和ケア病院から退院後、この状態でも治療できる病院はないか?と、父が希望していたので銀座の「並木通りクリニック」さんに訪問。

今後の治療可否に関する診断結果は・・・

受付で父を見て、たったの1週間で、かなり痩せていた姿にビックリしました。

いま思えば、まだまだ、この時は元気な方でした。

緊急入院した緩和ケア病院のCTで診断して頂いた結果は・・・

食道まで、腹水が溜まっている状態。

腫瘍か消化機能の低下か、詳細は分からないが、とにかく正常に内臓が機能していないのが原因で吐いてしまったのだろう。とのこと。

「先生、治療はできるものでしょうか?」

という質問に、

「脱水症状気味なので、ちょっと今の体力だと治療は厳しいですね。回復してから検討をしましょう。」

という回答でした。

忘れる事ができない、父の姿と台詞

この時の落胆した父の姿は、今でも忘れられません。

がっかりと肩を落としながら「もう、、、諦めよう、、、」

と、、、

ちょうどその頃、30キロ代から奇跡の復活を遂げた方のブログと出会い、そのブログで紹介されていたクリアリブを知り、僅かな希望を抱き購入して送るのでした。

乳酸菌酵素 抽出液 クリアリブ

父の寿命まで「2ヶ月と3日」

【1月2日】無事に年を越せました。虫垂癌・腹膜播種 ステージⅣとの闘い

父の様子は・・・

食欲が日を重ねるたびに、落ちています。大食家だった父ですが、麺もの、丼もの、寿司など、一人前どろころか半人前がやっとの状態です。

免疫療法の資金もショートした為、あとは、自己免疫力を高める食事しかない。との思いから

色々な免疫の話しをしました。

自己免疫を高めるために

  • 糖質は制限した方が良い
  • 添加物は回避すること
  • 腸内フローラー&腸内環境を整えること

などなどです。

間違った栄養管理

ただ、いま振り返ってみれば「糖質制限」だけは、止めることはできませんでした。

闘病生活を開始した直後に、教わったり、学んだりした知識を伝え、本人も実施してみると発信していましたが、糖質制限だけはどうしても止める事ができませんでした。

元々、糖尿病も患っていたので、お米が大好きでした。振り返ってみれば「食事療法」も間違いだらけでした。20年以上前から、糖尿病で通院していたのですが、カロリーを重視した指導でしたね。脂質に対して、非常にネガティブで「そば」などを選んでいました。

空腹にそばは、血糖値が急上昇して逆効果であるのは、今なら理解していますが、当時はそこまで強く発する事ができませんでした。

↑ 牧田先生の「糖質中毒」や

↑ 宗田先生の「ケトン体が人類を救う」

を、読んでみて我が国の「栄養管理指導」が、いかに間違っているか?また、糖質制限によって癌の発生リスクを低減する事なども知る事ができました。

再会を祈り・・・

痛みはなくても、明らかに弱ってきているのが分かり始めたのが、年始でした。何とか食事で復活できるようにと、癌を克服した方のブログを読み漁り、色々な商品を検討しはじめたのが、年始の休日中の作業となりました。

思い返せば、まだまだ元気だったと感じます。

父の寿命まで「2ヶ月22日」でした。